ドゥーラになった理由2つ目〜子育てし辛い世の中の風を感じているから

こんにちは。

あおい波 曽慶です。

ようこそ!あおい波ドゥーラブログへ。

東京はだいぶ寒くなって参りました。

自転車の手が寒くて寒くて、新しい手袋を購入しました。

みなさま風邪などひきませんように。

さて、なぜドゥーラになろうと思ったかの続きです。

子育てしずらい世の中の風を感じているからというのが、

2つ目の理由でした。

このブログを見ていただいている子育てをされているお母様たちの中で、

子どもを連れていて怒鳴られた経験ありませんか?

わたしはあります。

子どもたちには電車やバス、レストランなど公共の場では静かにするように

いい聞かせておりますが、チョロチョロとするのが仕事のような、3歳児息

子、なかなか難しいことがあります。ご迷惑をおかけしたときは怒られて注

意されて当然だともちろん思いますが、ご迷惑尺度が個人個人により違う

ことを実感することが多い今日この頃です。

例えば、保育園新設にあたり、子どもの声は騒音か?の問題は子ども2人の

子育て真っ最中なわたしは、子どもの声が騒音だという認識は全くなかった

ので、子どもの声が騒音とみなし、保育園新設反対だと、迷惑だと、いうク

レームがあることに私自身は驚いています。

子どもたちを地域でも育てるという感覚は薄れてしまっているのかなあと少

し寂しくも感じています。

さて、わたしが怒鳴られて、子育てし辛いなあと感じた経験はどんな事だっ

たかというと〜

バスに乗っていたときのことです。

末っ子くんが2歳のとき、とてもご機な様子でわたしと一緒に、膝に座

り、電車のおもちゃを両手に持ち、バスの窓枠におもちゃを乗せてブーブー

と楽しく、遊んでいました。バスでぐずられるのをいつも恐れていたわたし

は、今日は無事にバス乗れるなあとホットしていました。

そんな時に、後ろから「うるさい」「うるさい」「うるさい」と小声で囁く

声が聞こえました。その真後ろの席に乗っていた、年配の女性でした。

わたしは耳を疑い、心の中で「うそ〜?!これでうるさいと言われたらバス

れないなあ」と呟いていました。あまりにも「うるさい」と囁かれるの

で、わたしはさりげなく途中の停留所ですぐに降りて、歩いて家に帰りまし

た。ささやかな抵抗でわたしは一切謝ることはしませんでした。

なぜこんなことを小さな子どもに言うのだろう、酷いなと、悔しい気持ちに

なったからです。

その帰り道、ベビーカーを押しながら、母親は未来ある子どもを育てる仕

事、すばらしい仕事、そんな母親が、何故悔しい悲しい肩身の狭い思い

をしなくてはいけないのだろう、そんなの違うな、子どもたちはみんなで優

しく温かく育てるべきだ、と、母親であるわたしは、母親の味方であり、大

事にする立場にまわりたいとそんなことを思ったのでした。そしてそんな想

いがドゥーラになるきっかけになったのです!

3つ目のきっかけはまた次回に。。。

ブログを読んで下さりありがとうございました。

あおい波 曽慶奈巳

 

 

 

 

新緑の眩しい5月に長い長いトンネルへ落ちてしまった〜

こんにちは。

あおい波 曽慶(そけい)です。

前回のブログで長い長いトンネルと書きましたが、長い長い暗いトンネルに潜り込んでしまったきっかけとなったのは、季節はとても過ごしやすい、新緑の眩しい2011年5月のこと。

何度も順調ですよ、問題ないですよ、と、言われ続けた29週目(妊娠8ヶ月)のときの、地元の個人産婦人科病院の定期検診でした。いつものように、エコーをしているとき、先生の表情に明らかな動揺が見られました。わたしはいつも穏やかな先生の表情が変化したことにドキドキしてしまい、先生のおっしゃったことは全部は覚えていないのですが、

「心臓のお部屋は通常4つあるのですが、4つのお部屋が不鮮明で確認ができません、大丈夫だとは思いますが、念のため、精密検査しましょう。総合病院の精度の高い機械で診てもらいましょう。」

といった内容だったかと思います。そして先生はすぐに、私の住んでいる世田谷区にある、子ども専門の有名な病院である国立成育医療研究センターへ紹介状を書いて下さったのでした。

わたしは、心臓の病気が赤ちゃんにあるの?と、呆然として、病院を出て、気を落ち着かせるために、妹にすぐ電話をしました。

検診でひっかかってしまったこと。長男を精密検査のときに、預けたいこと。

どうしよう?どうしよう?

と頭がぐるぐるして、、、

病院の帰り道は上り坂だったのですが、その上り坂の広い道路並木道で、新緑が青々としていて、その美しさが眩しすぎて、私はくらくらとしてしまいました。

とにかくコーヒーでも飲んで休もうと近くのフレッシュネスバーガーに駆け込んで、コーヒーを頼み、コーヒーをすすったものの、不安と恐怖で、涙が溢れてきてしまい、どうしようもなくなり、トイレに駆け込み、狭いトイレの一人だけの空間で思い切り泣いたのでした。

その数日後、エコーですぐに心臓疾患が見つかり、お腹に針を刺し、赤ちゃんを包む羊水をとって、染色体の検査をする、羊水検査をして、あっと間の診断がくだりました。

結果は「21トリソミー(ダウン症候群)」の合併症による、AVSD(完全型房室隔欠損症)という診断でした。

わたしは、長い暗いトンネルにドスんと、突き落とされたようでした。呆然とするわたしに次々といろんな困難が襲いかかります、、、。

続きはまた次回にしますね。

あおい波グリーフケアブログにお越し下さりありがとうございました。

あおい波 曽慶(そけい)

 

 

 

 

お料理や家事の達人でもない私が、何故ドゥーラになろうと思ったか?

こんにちは。

あおい波の曽慶です。

私は、お料理や家事の達人でもないのですが、2人の男の子を育てている母親という立場で、ドゥーラに何故なろうと思ったか?

そのきっかけを、今日はお話したいと思います。

きっかけは3つあります。

1つ目は、両親が遠い場所に住んでいる、孤独な核家族で、子育てがしんどいのと感じていたから

2つ目は、子育てしずらい世の中の風を感じているから

3つ目は、次男を産後一か月で亡くしたこと、です。

1つ目のきっかけ、核家族、、、

私の実家は群馬の北部、車を飛ばせば、2時間半くらいで行ける距離ですが、私はペーパードライバー、車の所有もしてなくて、両親は共働き、かつ高齢、なかなか気軽に来てもらえる環境ではありませんでした。しかし、妹が同じ区内に住んでいたので、妹は小さな甥っ子を連れながらも、沐浴や買い物やお料理をするのに、まめに通ってくれました。妹がくる日が待ち遠しかった私。どれだけ助かったことか。それだけで私は恵まれている方だったかもしれません。

夫の両親はというと、兵庫県とさらに遠く、夫の仕事も残業ばかりで、朝帰りも多い、昼も夜も関係ない広告関連の仕事でした。

核家族で夫の帰宅が遅い家庭、現代社会では当たり前になった家族の風景ではないでしょうか?

そこで、ママは無理をする。

心も身体も無理をする

子どもの病気のときは、さあ大変。おまけに自分も具合悪くなったら、さあ大変。そんな時、不安で気持ちが押しつぶされそうになりませんか?

わたしはいつもそうでした。

「子育てってしんどいなあ」「子育てって不自由だなあ」

といつも思っていました。もちろん今も三歳の小さな末っ子くんがいますので、時々思います。

しかし長男のときは、本当にわからないことだらけ、はじめてのことだらけで、しんどさもとても深くて、その頃を思い出して、、、ドゥーラの存在を知ってからは、その頃、ドゥーラさんにサポートをお願いできていたら違ったのではないか?

と思い、

それなら!

私がドゥーラになれば、同じようなママたちに寄り添いサポートできるのではと考えたのが、理由の1つです。

そして2つ目、3つ目は、、、ちょっと長くなりましたので続きはまた次回に。

あおい波ホームページにお越し下さりありがとうございました。

あおい波 曽慶奈巳